海で溺れたよ

この海!深い!溺れる!ボボボーボ・ボーボボ

母親。

生を絶とうとしていた自分が母親になるなんて良いのだろうか、きちんとこの子が幸せになれるように導いてあげられるのか、まだ不安は絶えないけど私はお腹に宿った生命を必死に一生懸命に守って育てることに集中しようと思う。

 

母親になってはじめて分かる母親の気持ち、共感したり仕方なかったのねと思える反面 やはりそれを子供に強いるのも理解を求めるのも酷だと私は思う。同じことを繰り返してはいけません。

主人はたくさん愛情を与えられ育った人なので 私が少しでも子供を蔑ろにするような行動を取ったり 取ろうとしたらすかさずフォローを入れてほしいとお願いしました。

出来る限り私のようにはなって欲しくありません、もう二度と繰り返したくない。

 

※エコー写真※

 

 

 

 

※撮影当時妊娠4ヶ月

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めいいっぱい生きようとしている姿にいつも感動してしまいます、最初はピコピコ動く心臓しか見えなかったのに 回数を重ねるごとに月日が流れる度に日に日に成長して、この間までは半分のサイズだったのがもう2倍になってたり。

こんなに命に感動して、感謝する気持ちは私には無縁だと思っていました。死にたいと思い手首を切ったり薬を過量服薬する毎日でした、自分の命のことなんて将来なんて考えたくなくて 日に日に希死念慮だけが強くなって、ただひたすら思考を止めたかったです。考えることを放棄して、なんの責任も負いたくありませんでした 自分本位に生きていくつもりだったし、どこかで野垂れ死にしてたって構いませんでした。

こんな風に思ってた人間を、ここまで変化させてくれた環境と周りの方に本当に感謝しかありません。

ボーダーもまだ完治はしてない、ぶり返すかもしれないし このまま発症しないかもしれない 完全にギャンブルだけど、今まで通りあまり期待はせず まったり過ごそうと思います。

 

愛しの我が子は11月に爆誕します、また出産が近づいたら更新したいとは思っていますが体調と相談します、、、

 

 

仕事の後遺症

2年勤めていたお水の仕事を9月に辞めました。

それからというものは専業主婦をして、コロナが落ち着いてから たまに週末に主人と飲みに繰り出したりしてたくらいで 夜の世界とは一切の関わりを持ちませんでした。

 

勤めていたお店のママと昨日久しぶりに会いました。近況報告から他愛のない世間話まで、ですがやはり会話はだんだん説教じみて行き 私の容姿に対する話題などもありました。

吐き気がするほど 容姿に関する話題が気持ちが悪くて仕方がありませんでした。

 

私のいたお店は特別に厳しいところではなかったんですが、月経で浮腫んでいるだけで「太ったよね?」と聞かれ、生理中なんです と説明をしても聞く耳を持ってもらえず周りに面白おかしくお話をされたり。

私は医者から「ADHDです」と診断されたのを話をしたら「大袈裟」と笑われたり「あの子は精神疾患じゃなくて甘えだから!」と私のことを周りに言いふらしたり。

ここに載せたらキリがないほど、ママの知っているスタッフの話や噂は他のスタッフも知っているし むしろママが広めにいきます。ある事情があって中絶をしたスタッフに向かって「中絶してよかったね」と言ったり、私達も立場上我慢をして 耐えきれない女の子から辞めていくという形でした。(それでもママを絶対的正義で正しいとママを崇拝してるスタッフは自己犠牲しながら残っていますが)

 

 

私の精神衛生上も考慮し、もう家庭にも入っているし、ということで 主人と相談をして退職しました。

 

ママはよく口癖で「みんなのことを友達や家族のように思っている、とても大切」と言っていました、主人と出会う前はその言葉を鵜呑みにして、崇拝するように過ごしていましたが 今になって考えると おかしいとハッキリ言いきれます。毒親と同じ原理で 離れて他を知ってみないと分からない。

今はお陰で健やかに暮らせているけど、後遺症は残ったままです。

 

 

見た目であまりにも評価をされすぎたし、私もあまりにも見た目を気にしすぎた。

主人以外の男性と金銭が発生してないのに話す必要が分からないし、男性に少しでも好意や性的なものを向けられると気持ちが悪くなる。

全員の目が私のコンプレックスに向いてる気がして人混みや外にはイヤホンを付けたりしないと1人では出かけられない。

ほんとうの意味で健やかに暮らせるようになるのはいつなんだろう、、って思いながら これはもう不治の病だと割り切りたいとも思う。

久。

お久しぶりです、1年越しに訪れました。

相変わらずなんだかんだ生きてる、久しぶりすぎて何をどう書けばいいのかわからないけど、とりあえず空白の1年は精神科の病院を変えて、紆余曲折しながら 仕事をやめて、今は専業主婦をしてます。

 

有難いことに主人は私の精神疾患発達障害も受け入れてくれています。

そのお陰もあってか リストカットやODをしなくなりました。自殺の計画を立てることもめっきり減りました。

だからといって心が健康なわけではありません、ふと喧嘩をしたり 不安になると、頭の中は相手を試すような言葉ばかりが浮かんでしまいます。

言葉や行動には出さなくなったものの、毎回自己嫌悪で辛くなる。

 

姑の嫌味だったり、「あなたに息子を取られた」などの言い草だったり 主人の何気ない一言だったり、ストレスはやっぱり絶えません。

気分の落ち込みも健在だし、呼吸をすることすら面倒になったりもする。

 

昔は「リストカットやODを辞めれたら」「試すような言動が無くなれば」楽になれると思ってました。

でも、現実はそうは行かなかった 一難去ってまた一難の如く ひとつのストレスから解放されたらまた1個2個 やっぱり生きるってむずかしいと日々思いながら生活をしてる。

仕事をやめても気力がないと家の事も手につかない日もあって、どうしてもイライラしたり、すぐ泣いてしまったりすることもあって。

昔ならそういう時はODして運ばれたり、手首切って血だらけで病院に行き縫われたり、母と喧嘩したり、飛び降りたり、解離して気付いたらお風呂場で座り込んでたり そういう当時と比べたら、まだ可愛いもんかなあというのが励みになってます。

 

まだまだ呪縛からは解放されてないけど、ある程度はカタギになれた気がする。

今は処方箋も飲まず、暇になったりするとお菓子作ったりするような人間になれた。

つまんねー女になったなー!ってこれを読んでる私を昔から知ってる人もこのブログ開設当初から読んでる人も思うよきっと、私ですら思う。

でも心が健康にならなくても、人に迷惑をかけることがうんと減っただけで 私はすごく楽になった。

 

でも、当時私が抱えていた希死念慮も 人に迷惑をかけなきゃ立てなかった自責の念も ボダの影響で壊してしまった人間関係も、きちんとひとつ残らず覚えていたい。どんなに心が健康になったとしてもそこはブレない。

 

本当はもっと書きたいことがあるんですが、また後日更新します。

 

また時間があったら訪れます、久しぶりの更新で文章の作り方も忘れ読みにくかったと思います。最後まで読んでくれてありがとう。

皆さんがどんな形であれ幸せになれますように。

 

嫌い嫌いでキリがない。

診察なんて大嫌いだ、閉鎖病棟も閉鎖空間も大嫌いだ、私に好奇の目を向ける人間が大嫌いだ、他人が死ぬほど嫌いだ、こんな自分が大嫌いだ。

 

 

私は極度に人から見捨てられることを恐れる、人の感情や表情や声のトーンに敏感すぎて気付かなくていいことにも気付く、だからどうでもいいことをずっと考えてしまう。

 

自分は大嫌いを抱えすぎるくせに、私は嫌われるのがとても怖い。不特定多数とかでもいいし、私を一生好きでいて欲しい、何をしても、何を言っても好きでいて欲しいと思う。だけどそんなことはありえないの前に私は気持ち悪いので「怒ってくれないなら私の事好きじゃないんでしょ?」「怒るってことは私の事嫌いなんでしょ?」そんなしようも無いことを抱えてしまう。

 

そんな気持ちや過去のブログの内容のようなことから私は他人を振り回し続け、自己愛を求め、承認を満たそうとしていた。

 

シンプルに生きるのが下手。

 

 

それでも私は満たされることがなかった、冷静に考えればすぐ分かること。底の抜けたグラスに水やジュースを注いでも一向に貯まらないのと同じ。

私の心はそんなふうに複雑に出来てしまった。

 

先日の通院の日、一睡も出来ず、何故か私は孤立していると思い込んでしまった。きっと普段より感情や思考が不安定だったのだと思います、逃げ道もありました金パブをODすればよかった、だけどそんなことより辛さが勝ってしまった。今が辛い、だからどうしてもリスカしかないと思った。

 

まあ案の定手首は縫わなきゃいけないほどだし、何より傷が何本なんてもんじゃなかった、100は超えてたように感じる。

 

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まあここだけじゃなく二の腕も、太もも、手首の表も、乱雑に。力だけ込めて、他に力を込めろと思う今なら・・・

 

夕方、いつも以上に精神が不安定になってる私はバスも乗れず、精神科も母に連れてってもらいました。

 

診察の前に自傷行為の処置はしてもらったものの「もう縫えない」と言われたので消毒でガーゼ包帯で終了。診察では普通にいつも通り喋りました。

 

 

「見捨てられ不安を治したいと思ってますか?それともこのままで良いと思ってますか?」

と問われ「治したいとこのままで良いという気持ちが70:30の割合で秒単位で切り替わるから何とも言えない」と伝えました。

 

とりあえずは診察時間ももうと言われたので、まあこちら側は「分かりました処方箋下さい」しか言えないのでそう言ったら主治医から突然

 

「言い難いのですが来月いっぱいで転勤します」

 

と伝えられ、私は裏切られたと感じ見捨てられたと感じ逃げました。院内を走り逃げ、汚い倉庫のような所で泣き崩れました。

母に引き止められましたが振り切って走り逃げました。

 

泣いてるところを見られたくない、弱い部分を見られたくない、くやしい、くるしい、なんで、どうしてくれるの。

 

そんな感情がぐるぐると回転して行った後に襲ってきた怒りに耐えきれず、母と主治医を残した診察室に早歩きで戻り、それはもうとても恐ろしい表情を浮かべていたと思います。(精神科までの道のりの他の科の方さーせん!)

 

 

診察室に戻って即、私は主治医に怒鳴り「精神科医やめろや、てかそもそも人間辞めれば?舐めてんの?患者のこと」等と放った後は殴り、胸ぐら掴んでしまいました。母が止めに入り、その場で再び待ち合いまで行き母を待ちました。

 

私が許せなかったのは、見捨てたとかなどではなく「これから治療がんばりましょう、僕も支えます」と言ったような人間が、そんな人間が、と。

それと、来月いっぱいならまだ猶予はあるのでは?という疑問が過ぎりました。

 

 

 

何時も通りニコニコして喋って、しんどかった事も話してるから大丈夫だろう!

 

という安直な考えが許せない。

 

今の主治医は4月から担当になり、その前の主治医は担当になって1年で転勤でした。見捨てられ不安の最骨頂、情緒不安定型ガイジにとっては耐えられない。

 

 

何時も通りでも私の心は常に忙しいのにな。転院を考え始めました、異動のない個人病院を転々とする日々が始まるのだと思います。

 

そんなことしなくたって死んでしまえば解決しちゃうのに死ぬ勇気もないくせに生きる勇気もなくてゴミでしかない。あーあ!

 

 

 

永遠は怖いけど永遠がほしい。

 

 

 

 

 

私のいない所で私のことについて淡々と勝手に周りの大人達が決め、ファイナルジャッジは私に任されるけども 経緯も何も知らされずメリットだけ伝えられる。有無を結局言わせない目線と表情に私は口を閉じる。

 

勝手に掲げられた目標で、私は感情の捌け口を見失った。何も出来なくなった、どうしようもなく死んでしまいそうだった私を何とかギリギリのラインで生かせてくれた行為も全部取り上げられてしまった。