海で溺れたよ

この海!深い!溺れる!ボボボーボ・ボーボボ

嫌い嫌いでキリがない。

診察なんて大嫌いだ、閉鎖病棟も閉鎖空間も大嫌いだ、私に好奇の目を向ける人間が大嫌いだ、他人が死ぬほど嫌いだ、こんな自分が大嫌いだ。

 

 

私は極度に人から見捨てられることを恐れる、人の感情や表情や声のトーンに敏感すぎて気付かなくていいことにも気付く、だからどうでもいいことをずっと考えてしまう。

 

自分は大嫌いを抱えすぎるくせに、私は嫌われるのがとても怖い。不特定多数とかでもいいし、私を一生好きでいて欲しい、何をしても、何を言っても好きでいて欲しいと思う。だけどそんなことはありえないの前に私は気持ち悪いので「怒ってくれないなら私の事好きじゃないんでしょ?」「怒るってことは私の事嫌いなんでしょ?」そんなしようも無いことを抱えてしまう。

 

そんな気持ちや過去のブログの内容のようなことから私は他人を振り回し続け、自己愛を求め、承認を満たそうとしていた。

 

シンプルに生きるのが下手。

 

 

それでも私は満たされることがなかった、冷静に考えればすぐ分かること。底の抜けたグラスに水やジュースを注いでも一向に貯まらないのと同じ。

私の心はそんなふうに複雑に出来てしまった。

 

先日の通院の日、一睡も出来ず、何故か私は孤立していると思い込んでしまった。きっと普段より感情や思考が不安定だったのだと思います、逃げ道もありました金パブをODすればよかった、だけどそんなことより辛さが勝ってしまった。今が辛い、だからどうしてもリスカしかないと思った。

 

まあ案の定手首は縫わなきゃいけないほどだし、何より傷が何本なんてもんじゃなかった、100は超えてたように感じる。

 

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まあここだけじゃなく二の腕も、太もも、手首の表も、乱雑に。力だけ込めて、他に力を込めろと思う今なら・・・

 

夕方、いつも以上に精神が不安定になってる私はバスも乗れず、精神科も母に連れてってもらいました。

 

診察の前に自傷行為の処置はしてもらったものの「もう縫えない」と言われたので消毒でガーゼ包帯で終了。診察では普通にいつも通り喋りました。

 

 

「見捨てられ不安を治したいと思ってますか?それともこのままで良いと思ってますか?」

と問われ「治したいとこのままで良いという気持ちが70:30の割合で秒単位で切り替わるから何とも言えない」と伝えました。

 

とりあえずは診察時間ももうと言われたので、まあこちら側は「分かりました処方箋下さい」しか言えないのでそう言ったら主治医から突然

 

「言い難いのですが来月いっぱいで転勤します」

 

と伝えられ、私は裏切られたと感じ見捨てられたと感じ逃げました。院内を走り逃げ、汚い倉庫のような所で泣き崩れました。

母に引き止められましたが振り切って走り逃げました。

 

泣いてるところを見られたくない、弱い部分を見られたくない、くやしい、くるしい、なんで、どうしてくれるの。

 

そんな感情がぐるぐると回転して行った後に襲ってきた怒りに耐えきれず、母と主治医を残した診察室に早歩きで戻り、それはもうとても恐ろしい表情を浮かべていたと思います。(精神科までの道のりの他の科の方さーせん!)

 

 

診察室に戻って即、私は主治医に怒鳴り「精神科医やめろや、てかそもそも人間辞めれば?舐めてんの?患者のこと」等と放った後は殴り、胸ぐら掴んでしまいました。母が止めに入り、その場で再び待ち合いまで行き母を待ちました。

 

私が許せなかったのは、見捨てたとかなどではなく「これから治療がんばりましょう、僕も支えます」と言ったような人間が、そんな人間が、と。

それと、来月いっぱいならまだ猶予はあるのでは?という疑問が過ぎりました。

 

 

 

何時も通りニコニコして喋って、しんどかった事も話してるから大丈夫だろう!

 

という安直な考えが許せない。

 

今の主治医は4月から担当になり、その前の主治医は担当になって1年で転勤でした。見捨てられ不安の最骨頂、情緒不安定型ガイジにとっては耐えられない。

 

 

何時も通りでも私の心は常に忙しいのにな。転院を考え始めました、異動のない個人病院を転々とする日々が始まるのだと思います。

 

そんなことしなくたって死んでしまえば解決しちゃうのに死ぬ勇気もないくせに生きる勇気もなくてゴミでしかない。あーあ!

 

 

 

永遠は怖いけど永遠がほしい。