海で溺れたよ

この海!深い!溺れる!ボボボーボ・ボーボボ

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ハサミを腕に刺しました。結構グロかったので抑えてるティッシュのみ。生きてる意味が本当にわかりません、こんなに苦しんで傷つけて傷つけ合ってまで生きる意味が、必要性が、私にはわからない。ママに迷惑をかけて、主治医の期待を踏みにじって、私はいつも被害者面してます、そんなの大嘘です。そんな私がいつも真面目に生きていきたいと思いながら誰かを何時も傷つけ誰かにいつも迷惑をかけている、そんな人間に生きる価値なんてあるのでしょうか。ただ今私がはっきり言えることは人生最大の希死念慮に苛まれていることです。私のこの人生にも、このどくどくと動く心臓も止めてしまいたい。

主治医「18歳で眠剤4種類はちょっと…多いかな」

相も変わらず眠れないのでこのブログを書き殴ります。

 

私の不眠は恐らく中二半ば頃からだと思う、その当時は寝すぎたり寝なかったりという極端な睡眠生活を送っていました。学校には行ってなかったので生活リズムも常に夏休みというのも大きかったのかもしれません。当時通っていた精神科で「眠れません」と言っても とても弱い眠剤を出されて診察終了、次の診察の時も「眠れません」眠剤は変わらず診察終了…今思い出すとめちゃくちゃ腹が立ちます、お前医者じゃねえのかよと。そこから睡眠障害とボーダーと躁鬱は加速をつけどんどんと進んでいきます。

ついに18になった今、3年ほどは経ちました、良くなったかと聞かれたら全力で首を横に振るくらいです。去年は飛び降りたし、ODして入院食らったし、リスカして夜中に病院に駆け込んだし、今も飛び降りたいとふと思う時があるしずっと死ぬことばかり考えている。寝すぎることはなくなったけど今度は全く眠れないという酷い問題が登場。2日、3日ずっと起きて体の限界が来た時に4時間ほどやっと眠れる。4時間寝ても何度か目が覚めたりするくらい眠は浅い。寝不足のおかげでメンタルもズタボロ、毎晩毎晩寝かせてくれと願い眠剤を飲み 気付いたら朝の8時でママと鉢合わせる。ということがもう日常的にあります。眠れてないのでもちろん脳も体も疲れを感じやすくなり 洗い物を一旦終わらせるだけで「洗い物溜めんなよ」とイライラ、誰も起きてない時間も起きててしまうから友達からの返信がないことに悲しむ、一人ぼっちだと感じることも3年前より増えてしまった。何も成長出来なかったこと、悪化してしまったこと、全てにおいてとても自分に失望してイライラしています。

 

何度か先生に相談して、現在眠剤を4種類と副作用で眠くなる薬を何錠かもらってなんとか過していますが1週間のうちまともに眠れる日が1日くらいしかありません。その1日眠れたとしても次に襲ってくるものが中途覚醒です、眠りが浅く 何度か目が覚めては 1時間くらい眠れずというのを繰り返しています、正直全く眠れないよりこっちの方が私は嫌いです。まあ睡眠に嫌いも好きもないんですけど。前はクエチアピンというお薬を寝る前に飲んで副作用で寝ていたんですが医者から血糖値が高いと言われてからクエチアピンは断薬。むずむず脚症候群に悩まされることは減ったけど眠れないのは変わらないのでしんどいです、まだクエチアピンを飲んでる時の方が寝れてたような。ただもう血糖値が高い時点でクエチアピンは出してもらえないのは目に見えています。ですが私の主治医、正直抜けてるんですよ。

例えば「クエチアピンやめても眠れなかったらのために睡眠薬考えておいてください」主治医「はい、それはきちんと。」次の週「やっぱり眠れません」主治医「一応もう一週間様子見ましょう」私は頭にハテナが大量生産されて思わず何も聞けず終わってしまいました。主治医の口癖は「様子見ましょう」「薬減らそう」です、何がしたいんだろう一体。

 

様子見したじゃん?!2週間入院した(手術がありまして)じゃん?!そんでもって退院してからの様子見ももう2週間もしてんだよ?!馬鹿なの?!…ゴホン…おっと取り乱してしまったすみません。

 

というのが私の本音です、私の睡眠障害自傷行為に精神的な心の問題が大きいとしてどれだけ様子見をしたら気が済むのだと。様子見するならそれなりのアドバイスも欲しかったし、何かしらの補助は欲しいのです私は。心の問題なんてことは自分でも分かりきってます、特に自傷行為や不安からくる暴力癖にも睡眠障害にも。でも睡眠障害に関しては心の問題が大きいなら尚更治るのに時間もかかるし治るかも分からないしそれなら良くなるまでの補助として何かしらの依存性の低い薬を飲んでゆっくりクエチアピンのように量を減らすじゃダメなのか、そう言っても先生はきっと困ったような顔して「んーーー」と言うだけ、想像は安易に出来ます。私の考えが浅はかなんでしょうか、ただ当事者からすると眠れないことが何よりも辛いのです。どんな手を使ってでも眠りたい、眠れるようになりたい、今日こそ今日こそ毎日それの繰り返し そんでもってまともに眠れるのは一日だけ、ふざけんなと思ってしまいます。あーこの怒りも多分心に余裕がないんだろうなあ。

 

何か良い対策法や、こんな薬を試してみるのは?や、寝る前にこういうことすると眠れるよ!というご意見がありましたらコメントや、繋がってる方達ならSNSで教えて下さるとありがたいです。ちなみに、ベンゾジアゼピンはあまり出したくないと主治医には言われ今飲んでいる眠剤が↓↓↓

 

「ロゼレム」「ルネスタ」「ベルソムラ」「ベンザリン」「アーテン

 

ちなみに住みが田舎のため今通っている大学病院の精神科が最後の砦なので病院も変えられないし、他の先生で合わなかったらという心配もあるので正直主治医もあまり変えたくありません。ちなみに主治医は28歳でイケメン、スポーツマン、映画小説好き、独身と食べたくなるような方です(アッこれはあんまり関係なかったテヘペロ。)

 

はァーーードッコイ!今日も眠れねえ!😇

死んでも誰かの心の中に残るというのはとても皮肉だ

先日リストカットをしました、とはいえ深く切れるようなカミソリなどは母に全て没収されているのでカッターで腕を切り刻んでいました。でも、ちっともスッキリしなかったのです。いつも手首を切るとなんとも言い難い快楽を私は手に入れるのです。悩んでいたことも苦しんでいたことも一時的に忘れてスッキリすることが出来るのです。答えはすぐわかりました、深く切れないからなんです。浅い傷を沢山切ったってちっともスッキリしない。深くないと、脂肪が見えないと、薄い膜の向こうに血管と思えるものがないと、私はスッキリできないんです。なのでここで言葉を紡ぎます。

大好きな人からの皮肉や嫌味や暴言というのは心に深い傷を負わせてしまいます、そして相手に悪気がないなら尚更。興味のない、さして好きではない人からの皮肉や嫌味や暴言に対しては深い傷を、というよりかは怒りに近いものが湧いてきます。前回の精神科でおばあちゃんが付き添いしてくれてました、診察室には入ってくることはありませんが。

私は誰よりもおばあちゃんが大好きでした、誕生日会を開いたり 年越しは家に招いたり 初めて働いた私のお金でご飯に連れて行ったり。私の人生においておばあちゃんとは大切な人でした。そんなおばあちゃんの悪気のない暴言が私の心に大きな傷を負わせてしまいました。「なんで精神病になるかなあ異常だから?」「お母さんもあんたが精神病なの恥ずかしいと思ってるんじゃない?」「甘えだよー」不意に思ってしまいました。「お前に何が分かるんだよ」と、負け犬の遠吠えかもしれません、何がわかるんだよと突き放すことでこれ以上傷つくことを避けたのかもしれません。でも、何よりも悲しかった 悲しくて悔しくて辛くて言葉も出ませんでした。でも、そんなことをはっきりおばあちゃんに言えるほど強いメンタルを持ってるわけでもないので 家に帰ったあと部屋に篭もりずっと泣いていました。分からなくていい、おばあちゃんも 私の病気のことなんてわからなくていい でも受け入れてくれてると思ってた、思いたかった。その考え自体が浅はかで自己中心的だったのかもしれません、全ての非は私にあるのかもしれません、とどんどん自分を追い込んでしまいました。前回のブログで書いた「抑うつ」にはおばあちゃんからの言葉が原因だったのではないのかと思います。

異常だ、おかしい、甘えだ、なんて言葉は耳にタコができそうなくらい色々な方々に言われることがありますが大好きだった人に言われるのではまた訳が違います。そして何より母が私を恥ずかしいと思ってるという言葉が私にトドメを刺しました、母は基本的に無頓着で無関心で人の目線顔色などを伺うタイプじゃなく 自由気ままな方です そして母の友人も同じようなタイプの人間が多く 母が恥ずかしいとは思ってないというのは私自身がよくわかっているはずなのに、トドメの一言でした。それは私が母のことが大好きだからなのだと思います。何かする時も、何かしようとする時もいつも私は母を優先しています。母の自慢の娘でありたいと昔からずっと思っています。そう思う心をおばあちゃんに踏みにじられとても苦しかった。まるで「お前がどう足掻いても母の自慢の娘になんてなれないんだよ」と言われてるような感覚でした。もう私はおばあちゃんを愛することはできません、ごめんね、私が精神病にならなかったら普通の孫と祖母でいれたかもしれないね。ごめんなさい。

 

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そんなことでただでさえズタボロの手首がまたさらに汚くなりましたよ、と。愛とはなんなんでしょうか、裏切られても暴言を吐かれても貫くことが愛なのでしょうか。例えプライドを相手にズタズタにされても貫くことが愛なのであれば私は一生触れることはないと思います。

レスタミンODを繰り返す

昨日、いとこの誕生日会で親戚達と集まってました。一昨日頃から圧倒的(?)抑うつに悩まされて、でも行かないというわけにもいかず悩み悩んだ結果「レスタミンを持っていこう」となりました。メンヘラの皆さんの大半はブロン派でしょうが、私は少数派のレスタミン派です。初めてブロンでODしたのが中二の頃でした、ですが追加しても何錠飲んでも何か起こるわけでもなくただただ体が重くなるということだけでした、レスタミンは虫の幻覚が有名で怖くてなかなか手が出せませんでしたがこの際ラリってしまえば虫が見えたってどうでもいいとなりそこからレスタミン漬けです。ですが私はレスタミンを何百錠飲んでも幻覚を見ることはありませんでした。

と舐めてかかってレスタミンを昨日飲んだら痛い目通り越して地獄を見ました。

女性陣がご飯の支度をして 子供たちが外で遊び回ってる隙にバッグから烏龍茶とレスタミンを取り出しトイレに行き80錠、全部流し込みました。1時間ほどでテンションが上がり何してても楽しく明るくなれると思いましたが期待を裏切られました、初めてレスタミンに裏切られました。

明るくなるどころか目の焦点が合わないのです、手も震え コバエよりも小さめの虫が1点に飛んでいる幻覚 物音に敏感になる 皮膚の感覚が可笑しくなり虫が体を這ってるような感覚 意識をしないと口が開いてしまう 思考が停止してしまう 上手く言葉が喋れない 体が重く立ち上がれない 重さに慣れ立ち上がるとフラフラして壁にくっつかないとまともに歩けないほどになりました、そして何より眠い!!!眠すぎる!!!何とかご飯は食べれましたが母と叔母が私をずっと見ていました、恐らく「こいつまたラリってやがったのか?」と思っていたんだと思います。大正解!!!!なんて言ってる場合か!!バカ!!!!

何とかバレないようにバレないようにと思いますが思考が上手く回らない挙句呂律も回らなくなり自分でも何を喋ってるのか分からなくなりました、必殺!壁に寄りかかって眠いフリ(いや眠いんだけど)に至り叔母と母とは目を合わせないようにしました。ですが気を抜くと本当に寝てしまう、カラコンも付けてる!眠れない!カラコンケースもこんな時に限って忘れる!なのでテレビに集中するようにしました、家政夫のミタゾノの録画に目を向けながら何とか眠らないように舌を噛んでいたらテレビ台の下に小さな虫が飛んでいるのです、気持ち悪!!と最初はビックリしましたが瞬時にわかりましたこれは幻覚だ。だんだん体がふわふわしてきて心地よくなり眠りそうになった時「ねえ!!!!」と大きめの声で呼ばれ レスタミンで物音などにも敏感になった聴覚のせいでビクッ!と体を動かして振り向いたら母がいました、やべえバレてる と思ったら母から「すきっ腹でお酒飲んだから具合悪いんでしょ?帰る?」拍子抜けしました、母の顔を見る限り嘘をついてるようには見えないし多分本当にお酒だと思ってたんだと思います。

ですが私達が帰るというのは集まった子供達とその母親たちも帰らすということになります、そんなのはダメです、子供達が遊び回って楽しそうにしてるのに私がラリったせいで(母は酒だと思ってる)帰らせてしまうのはダメだ!と思い「水飲むから平気だよ」となんとか回らない舌を回し答え それからしばらくぼけーっとしながら寝そうになったら舌を噛む 子供たちも私を心配そうに見てました「安心して!!ラリってるだけ!薬の効果切れたら元に戻るから!」と心の中で唱え 人狼ゲームに誘われましたが思考も回ってないのに参加出来るわけもなく見るだけでした。

薬の効果が切れ始め眠気もさほど強くなくなり思考もある程度なら働けるようになり人狼ゲームに参加するのですがもうミス連発、私とペアで人狼組んだ人…ごめんなさい…

 

今回こう地獄を見たわけですが、懲りてません。既にレスタミンを飲みたい自分がいます 体が重く立ち上がれずフラフラしてしまう眠くなる思考が止まる 一見マイナスなことかもしれませんが私にとってはそれが気持ちよかったです、なのでこれから先もブロンよりレスタミンだと思います。でもこれからは出先ではあまり飲まないようにします…もしくはカラコンケースを忘れず持っていきます…

 

叔母と母が喋ってたことは「救急車を呼ぶか否か」だったらしいです。恐らく中毒を疑ったのだと思います。そして未だに母は真実を知りません。

 

OD、それは君が見た光 僕が見た希望。OD、それはふれあいの心、幸せの青い雲「それ青雲だろ?!」

 

 

正論は時に暴力になる

よく言われます「親から貰った体なのに」「精神病は甘え」「メンヘラとは環境云々じゃなく本人の気質、弱さ」これらを言われる度に私は釈然としない気持ちになってしまう。これらの言葉は世間様にとっては正論で、私のように精神を病んでいる所謂メンヘラ、精神疾患者達からすると「暴力」になります。

私は何年か前ほどメンヘラ界隈と言われる場所に身を置いていました、元彼に追い詰められて飛び降りて亡くなった子 プロフに「死ぬときまてココロはひとりぼっちだったよ」と書いたままツイキャスで自殺を公開したあの人、南条あやは古すぎるし 今話を上げた方々が亡くなった時、私はメンヘラ界隈に身を置き リアルタイムで居ました。私は話を上げた方々ほどフォロワーがいたわけでもなく ROM専という立場にいました。そんな私もリストカットして載っけたり メンヘラをネタにした文章(自虐ネタ)などを投稿しておりました。メンヘラ界隈にいると、やはりそこそこ色々なことに巻き込まれて来ました。世間の言う「普通」や今まで自分が与えられてきた「普通」も覆すようなことが日常茶飯事にあります、彼氏と喧嘩して飛び降りて閉鎖病棟に入れられた子、ガールズバーから風俗嬢になりそのまま所在が不明になったり、職場の男性と不倫をしながらDVを受けてた子、大量に薬を飲んでフォロワーに警察を呼ばれて保護室に入った子、違法薬物依存で彼氏と一緒にパクられた子、そんなびっくりするようなことが次から次へと起きていくのです その中で私にある異変が起こりました「慣れ」です、いつの間にか私にとってその環境が普通であり当たり前でした、勿論仲のいい子もでき 2人で眠剤ボリボリしながら眠れず朝まで語り明かしていたり 傍からみたらただの傷の舐め合いでしかなかったかもしれません。でも確かに私はその居場所が楽しく幸せだったのかも知れません、似たような境遇の子と分かりあったり 違法でしたが薬でやり取りをしたり、そうして私は健康なメンヘラにすくすくと育っていきました。

ですがこの界隈に居て私が分かったことは「メンヘラは環境云々じゃなく本人の気質」ということは絶対に違うということです。みんな揃いも揃って共通する部分は「大体親がヤベエ」、絶対は言いすぎた、確かに環境云々より気質からの子も少数いましたが大体が親や親戚や職場がヤベエということです。子供にとって、親とは絶対的な権力であり、絶対的な存在なのです。その親に「出ていけ」と言われた時の絶望、「産むんじゃなかった」と言われた時の孤独、性的虐待の怖さ、手を上げられた時の悲しさ、ネグレクトの寂しさ、私がお互い知り合いでも一方的でも知ってる子は大体この様なことを背負いながら生きていました。挙げだしたらキリがありません、親が違法薬物依存や宗教にハマって詐欺られたや精神疾患に対する嫌悪感から保険証などの没収や監禁状態にさせられたり、そう思うと親になることがとても怖くなるのと同時に私は子供が嫌いなので絶対子孫を残すかと思っております。

そんな私がメンヘラ界隈から抜け出した理由があります、嫌気が差しました、それは決してメンヘラ界隈にいる方々にではなく ギャラリーです。この間の梅田飛び降り事件や、元彼に追い詰められ飛び降りた子や、ツイキャスで自殺配信をしていた子、その子達を殺してしまったのは同級生でもいじめでも親でもなく「ギャラリー」だと私は思っています、梅田飛び降り事件の時 引き止めず携帯を向けた方や 自殺配信で「早くしろよ」と急かした方 追い詰めた元彼ももう少し冷静になれる場所があったら何か変わったかもしれない、美談に聞こえるかもしれませんがこれらは私は心の底から思っています。どんな理由やどんな相手だろうが 飛び降りる所にスマホを無言で向けてザワザワと騒いだり自殺を急かすように言うのは絶対にしてはいけないことだと思っています。そう思うとだんだんTwitterで自虐ネタをしてギャラリーを喜ばせることに対しても それを見てるギャラリーにも嫌気が差しました。ですがメンヘラ界隈を抜け出したからと言って決してメンヘラを辞められるわけがありません。今も私は薬を大量に飲むし手首も切るし酒を浴びるようにも飲むし自殺未遂もしますし閉鎖病棟にも保護室にも入れられます。幼少期にかけられた呪いは何をどう足掻いても綺麗に解けることはありません。何故ここまで私が断言ができるかと言うと さんざん私にアドバイスをして元気そうに過ごしてた子が1ヵ月後には元に戻ってるのを何百回何千回と見てきたからです。結婚や出産や出世などで一時的に良くなることはあっても不意にまた襲いかかってきます、それがメンヘラなのです。だから本人に全く治したいという意思が無いわけでもないです。足や手が自分の意思で動くとしても感情は制御は出来ません。

そしてメンヘラにさらに共通する部分は「幼い頃から感情が成長出来ていない」ということです、普通の人は幼少期に感情を振り回し限度を学び大人になっていきます、ですがメンヘラはその体験が出来なかった或はできる環境でなかったということがあります。だから怒りに支配されたり悲しさや寂しさに支配されたり、感情が自分の中で回ってると言うよりかは 自分が感情に振り回されている状態です、今更限度を学べるわけもなく人に迷惑をかけてしまったり混乱させてしまったり、愛情を与えても底の抜けたバケツに水を注いでるようなものです そしてさらにタチが悪いのがお互い「いつか満たされる」と確信的でいることです。メンヘラである私達は常に悪循環を繰り返してなんとか生きています。そんな私の人生の永遠のテーマは「治らなくても人に異常なほど迷惑をかけないメンヘラになる」ということです、ここまでの話を聞くとそれはとても現実味のないことかもしれませんが常日頃私はそう思い、そう願い行動をしています。理解は求めていませんが受け入れていただけると有難いです、ですが貪欲なのが人間なので受け入れて貰えても「なんでわかってくれないの?」と今度は理解を強請るようになります。やっぱり死しか終わりはないのかもしれません。おやすみなさい。

今と過去とこれからのこと

私は愛されなかった、愛ある行為で身ごもって愛ある行為で産んだはずなのに愛されなかった。私は幼少期の記憶があまりありません まるで消しゴムで消されたかのように ブラックアウトしたかのように飛び飛びでしかないそれ以外はもう分からない。そんな中で思い浮かぶのはいつも家の空気も親戚との集まりも凍っていたこと。我が家は普通の家庭でした、父は社長母は専業主婦 外から見たら普通よりも恵まれてるかもしれません。ですが、その内側はいつ天災が起こるか分からない場所でした。父はイライラすると母につらく当たりました母には「お前が勝手に産んだんだろ」 私には「できそこない」と 普段は普通の母もそうなると守ってはくれません だから私は今も昔も「できそこない」「失敗作」だと思っています。叔母はお酒を飲むと私に「死にたいと思うお前は間違えてる」「お前は人間じゃない」と当たります。4歳の時に弟が生まれました 弟はお父さんからも愛されてて羨ましかった だけど当然だったのです何故なら私は出来損ないの失敗作だから 母と父が夜中に喧嘩をして弟が怯えて泣きながら私に抱きついてきたことを今も忘れません「こんな私を頼ってくれてる」と胸が熱くなったのを覚えています。弟が悪いことをしようとして私が止めに入ったことがあります、ですが私が父に怒鳴られました 人のせいにするな お前がやったんだろ 頭ごなしという言い方は好きじゃないけどまるでその通りのように説教をします。私のことをあまり好きではなかったんだろう。自分のことをはっきりと「要らない人間なんだ」と自覚したのはこの頃からでした。

保育園で怒られた時も異常な程に落ち込んでいたし 人格まで否定された気持ちでした、それは今も変わりません。そこに離婚、母の男関係、ネグレクトなどが加わり私の心は益々荒んでいきました。

中学生になり学校や家にも自分の居場所がなく私が見つけた方法は援助交際でした、もちろんお金欲しさもありましたが本来の意味は私の居場所探しでした。見知らぬ人に抱かれた時その人は私にこう言いました「かわいいね」胸が高鳴りました、そして初めて思いました「私は愛されてる」「私は必要とされている」どんどん「性の対象である自分」にしか自信を持てなくなっていきました。目の前にいる人が男性であれば、性的アピールをしてしまい関係を持ってしまう。その何人かと同時進行でつきあいました。

ですが根本的な部分には「自己否定」があるため相手の愛情を信じられないのです、だから試すような行動を何度も繰り返し相手が疲れ果てて離れていく その度に「私はやっぱり捨てられるんだ」と思っていきます。

気がつくと私はパートナーに暴力的行為をするようになりました、たった一人と付き合うことになり多数と付き合うことで満たしてきた孤独感が押し寄せてきたのでしょう。相手の帰りが少し遅いだけで「私といるより楽しいんだね」と思いこみ 「私は捨てれる」と怯えています。相手に尽くすことより2人の写真をビリビリにしたり目の前で自傷行為をする それで傷ついた様な顔をする相手を見て安心するのです 「ああ、愛されている」と。

5秒前まで機嫌よく笑っていたかと思ったら、5秒後には怒り出し暴れてしまう。そんなことがよくあります 些細なことでパートナーから捨てられると感じて怯えて不安が攻撃になります。

そういった症状は普段の人間関係では早々出てくることはありません。仕事や上辺だけの友達など 向こうから見たらむしろ私はいい人で関係が深くなれば深くなるほど症状は出てきます。厄介です そして私は今も居場所を探し続けています 見知らぬ男性と避妊もせず性行為に至り それを何度も繰り返し自らを救おうとしています。「今生きてる自分を愛してあげて」と言ってきたカウンセラーは私を救おうだなんて思ってなかった自分に酔いたいだけだったと思う。だから真に受けてもないし 愛してあげられるものなら私はとっくの昔に精神科も卒業してるであろう。今も私は真っ暗闇の中ひとりきりで歩いてるような感覚です 孤独感が消えてくれないのではなく私は間違いなく孤独なのだと思う。

遺書

私が死んでから「あーすればよかった」「もっとこうしてあげればよかった」と誰かが自責の念に駆られるのが嫌なのでこのブログを残します。私が死ぬのは誰も悪くない 強いといえば身内くらいです。毎日毎日生きることや自分のことで精一杯でこれから先を生き抜く自信も気力ももうぶっちゃけ残っておりません。感情のコントロール不能で特に気分が落ち込んでいる時無気力な時何も手につかない状態になります、私は今週の土曜日に引越しをするのですが片付けもなかなか進んでおらず、薬の効き目も悪く悪化傾向にあります。死にたいという気持ちと死ぬことだけが頭を埋めつくします。アイラインは何cm引いて、カラコンは14.2mmにして髪はどれくらい巻いてどの服を着て飛び降りるか葬式の遺影は何にするか会場に流れる曲はどんなプレイリストにするか何色の花で埋めつくしてもらうか、そんなことばかり考えています。それはどう頑張っても変わらないし治らないと思う 何故かと聞かれるとそれしか私にはないからだ、趣味も特技もない何も無い、そういうことを毎日毎日毎日考えて過ごすのが私にとっての普通だ。それを悲しいと表現する人もいるし、止めて欲しいと懇願してくる人もいるけど、まあ正直わたしだってそんなことを考えずに生きていけるならその方がいいと思う。スタバの新作フラペチーノとクリスマスの予定と片想いのイケメン草食男子のことで頭がいっぱいの女の子になりたかったとも思う。

何も怖くないという顔をして辛くないふりをしてなんともなさそうに見えてたかな、悲しむことも傷つくこともたくさんあった 私はいつもヘラヘラして流していた でも確かに私の心に突き刺さっていた。今も抜けずに困っている。「痛みって美しいんだ」という歌詞があるが死ぬほど嫌いだ、痛みを感じる度に私は私ではなくなる気がしてしまう。強がって痛くないふりをして私が私なのかも分からず混沌の中を生きている。涙を流すことは恥だ、弱みを見せるのは汚いことだ。見えないところの傷でさえ気持ち悪がられるのに見えるところの傷なんてもっとひどい。

「語彙力がある」「文才がある」そう褒めて貰えても私自身は空っぽで何も無いのだ。人間は自分で自分を評価し芯を作りその周りに他者からの評価が周りにペタペタと張り付く、でも私にはそもそもの芯がなかった。高校の受験の時面接があった、如何に自分をアピールするか そこで私は何回目かの挫折を味わいました。自分が分からないのです、自分の特技も趣味も分からずただただ練習しながら必死に書いたメモをぐしゃぐしゃにしては捨てぐしゃぐしゃにしては捨ての繰り返し、私にはもう本当に何も無いんだ。芯がないから他者からの褒め言葉でさえ空の中にどんどん落ちていく そう、褒めるだけ無駄なのだ。そして芯がないということは自分をしっかり持っていないとも言う、人の機嫌を伺いじっと相手の行動を観察し相手が求めている理想像になろうとする、カメレオンのようだ。どれだけ疲れていても厭わない。そうでもしないと人から好かれないという強迫概念があるからだろう。

自己肯定力が皆無だから少しでも否定されたら人格まで否定された気分になり相手の機嫌が悪いと自分のせいだと思ってしまうし そのループに疲れた結果「縁を切る」という手段しか思い浮かばず断ち切り私はどんどん1人になっていく。静かに死んでいくんだと思う。友達がアカウントをフォローしてくれなかった 友達が返信2日間もしてくれない みんなが気にしないようなことを逐一気にして気分が左右されそんな自分に疲れ私はぐったりする。

先日スーパーでお父さんと会った、新しい奥さんといたから話しかけられなかったし 私は見て見ぬふりをしてしまった、向こうも私のことは見かけてないと言っていたらしく勝手に私がいないような扱いをされた気分になった 悲しかった。私の周りにも母子家庭の子達は多いが大半が父親とも仲良くはやっていたりする、TwitterInstagramで「お父さんとデートしてきた」などという投稿を見ると携帯を投げて泣き出してしまう、私は特別なことなんて何もいらないただただ私もみんなみたいに健全に過ごしてお父さんや家族と遠出やデートをしてみたかった。もう叶わないから私がなんと言おうと何も変わらないのが現実だが その現実を受け入れる度胸も覚悟も根性もない。怖いんだ、私にはお父さんがいないという事実を受け入れることが。何故こんなにも私がお父さんを求めているのかと言うと私はお父さんとの思い出でいい思い出が全くと言っていいほどない。だから上書きしたいのだ、10年のブランクはあるけど今ならちゃんとお父さんの目を見て私の10年間を話せるような気がする、そして私はお父さんの10年間も知りたい、私にはちゃんとお父さんがいたんだという気持ちを抱きたい。お父さんが望んでいた娘に育たなかったことはわかってる、それも謝りたい、ただ私は普通にご飯を一緒に食べたり買い物をしたり普通でよかった。

平凡でいい普通でいい スタバの新作をツイートして友達とカラオケ行ってドライブして誕生日にはサプライズなんてされて それだけでいい、毎晩毎晩流す涙を拾ってくれる人もいない、私は孤独だ。私がこんなに自殺を願うには母より先に死にたいという気持ちがある、自分本位だが母がいなくなったら私には家族と呼べる人はいなくなってしまう。そんなの嫌だ、わたしをこれ以上孤独にして欲しくない。公認臨床心理士を目指してる友人に「小さい頃からたくさん傷ついてきたんだね」と言われた、私は泣き散らかした。もうこれ以上傷つきたくない、だから死を選ぶ。それしかもう私にはない。こんな支離滅裂な文章を最後まで呼んでくれてありがとうございます。ごめんね、20歳まで耐えられないよ。かと言って今すぐ死ぬわけでもありませんので警察さんは来なくてよいです