海で溺れたよ

この海!深い!溺れる!ボボボーボ・ボーボボ

僕と愉快な閉鎖病棟の仲間たち

小藤さん(39)うつ病で自ら入院してきたとのこと。この方は東京の方でIT会社に勤めていたらしいがうつ病を発症し仕事を辞め地元に帰ってきたらしい、前回のブログで書いた「いつもニヤニヤしてる人」です。この方とは心理療法士も混じえ他の方も混じえながらゲームを何度かしたことがある、そして、私に告白をしてきた人でもある。素直に告白された時は気持ち悪い(申し訳ないが)思ってしまった、そりゃそうだ、39歳、私の母よりも年上。でもこの人は頑固なのか気が強いのか諦めなかった「歳とか関係無しにどうですか」無理つってんだろ!!!!と怒鳴った相手でもある。男なら誰でもいいがちょっと待ってくれとなった。そして私と同じ日に退院されたらしい。

 

そしてここからはパンチの強いメンツになってくる、よっ!さすが大学病院さまさま!

 

 

えりか(13)なんとこの閉鎖病棟にはこんなにも若い子がいるとは!というのが最初の衝撃だった、この子は母親に刃物を向けたら警察を呼ばれそのままここに連れてこられたとのこと、この子は自分で自分の髪の毛を毟り抜く癖があり後頭部が少し禿げていた、でも普通だった。話せば楽しいし流行りのTikTokの曲などを歌って騒いで怒られたりした、禁止されてる物々交換(お菓子や本)などもして2人でひっそりアイスを食べたりもした、いい暇つぶし相手でもありいい友人だった。2人でホールでご飯を食べるのも当たり前だったし 後記に載せる女の子1人と私とえりかとの3人が何時ものメンバーだった。

 

なつき(20)最初の会った時は中学生かと思った(申し訳ない)トイレ待ちで初めましてだったのだが彼女は強迫性障害という所謂行き過ぎた潔癖みたいな感じで日常生活もままならず任意入院だった。お風呂も2時間かかり手を洗ってるだけで気付いたら3時間経っていたというのもざらにあったらしい、そして手を常に胸元に置きそこから下には下げられなかったし 落としたものも自分で拾えず、ご飯も部屋じゃなきゃ食べられず ジャンプや走ることもできなかった(汚いという思い込みゆえ)「トイレ行ってくる~」と言えば30分戻ってこないこともざらにあった。この子ともアニメやボカロや恋愛ソングで意気投合し ずっと歌ったり散歩がてらカラオケを外でしていたりした、歌声がとても綺麗で透き通っていて歌のお姉さんみたいな歌声をしていた。

 

まゆちゃん(24)彼女の病名や症状は詳しくは知らないが拒食症と気分障害人格障害を患ってると風の噂で聞いたことがある、ただでさえ華奢な体はもっと細く手首なんて折れてしまうのでは?というほどだった。そして可憐だった。声も落ち着いた綺麗な声をしていて顔も普通に可愛かった。だけど記憶がない所で冷蔵庫を倒していたり 椅子で窓ガラスを割ろうとしていたり 歯ぎしりをしながら「死にたい」と泣いていたり、何故かそんな光景にも慣れてしまい彼女が「死にたい」ということも慣れてしまったし、私も常に死にたいと思い死ぬことを考えてるからそれがデフォルト故に慣れてしまったのだと思う。手首に無数の痛々しい引っかき傷があった「差し支えなかったらでいいんだけどその傷は自分で?」と聞いたらふにゃあと笑い「多分ね、記憶が無いの」と返事をしてくれた、その初めての会話が何故か悲しかった。

親にも見放されてるらしくまゆちゃんは私が退院する少し前に施設に移動した。

 

 

 

そして上記のなつきとえりかとは未だに私が外来に行く時に会います。なつきとえりかとは病棟外で座りながらお話をしたり、昨日の診察後にもいつも通り話をしていた、私は汚れや傷などに無頓着で気にしない人なのだが それがなつきにも影響し「○○ちゃんのおかげで床に落ちたものも触れるようになったよ!外の椅子にも座れる!○○ちゃんは汚れや傷に無頓着だから見てて安心する、存在だけで私の病気を治してくれるみたい」と言ってくれた、嬉しかった。私の存在を初めて他人に認められたような、私は鬼じゃないんだと思えた。えりかは会った瞬間に泣いて抱きついて「会いたかった」と言ってくれた、彼女達と会うと何故だろう普通の友達といるより安心感があるし なにかに包まれてる気分になれる。私のなくなった生きる力と肯定力をゆっくりゆっくり彼女達は繋げてくれる。似たもの同士だからなのかもしれない。

 

 

この子達と関わり私はもっと深く心の問題について考えてみたがやっぱり答えなんて見つからなかった、精神障害者だからってちょっと怒っただけで「衝動性だ」って言われるし、ちょっと泣いただけで「不安定だ」って言われる「何でもかんでも病気扱いするな!」とは思うがそれほど心に敏感なんだと思った。心の病は悪いことじゃない ただちょっとした変化の心の反応なんだと思う。私の見解ではそうなる。

 

そんな愉快な仲間たちと過した閉鎖病棟、確かに外で友達とenjoy!もいいが閉鎖病棟での夏もなんだかんだ楽しかった、暑いね~って拒食症の女性と話しながら「お姉さん細いから暑くないでしょ~」そんな会話さえ懐かしいと思える。悪くなかった、だけど良かったとも思えない複雑な気持ちがある。精神科の閉鎖病棟は地獄ではないが天国でもない、病状が落ち着くわけでもなければ救われる場所ではない、だけど気付けることが沢山ある、得るものも沢山ある。私はそれをひとつひとつ壊さず大事にしたいこれからも。

 

閉鎖病棟とADHDと

窓からはセミの鳴き声が聞こえる、スマホはない、社会と繋がるようなツールは全て置かれてない。不安だらけだった、私にとってスマホとは他者との繋がりを表すものだった そんなものがない中でまともでいられるのかと不安だったが実際「スマホがある方が異常になってしまう」という現実を突きつけられた。

 

出入口、洗面所、大浴場、ナースステーションには全て鍵がかけられ ナースステーションには強化ガラスが張り巡らされてる、困った時はナースコール(看護師が来るのに30分くらいかかる)またはナースステーションの小窓を叩き直接お願いをしにいく、1人でニヤニヤしながら歩く人 ナースステーションの窓を叩きながら「ここから出せ!」と怒鳴り保護室に連れていかれる人 ドアの隙間からガン見してくる拒食症の女性、1人で爆笑しながら歩く人、みんな様々に過ごしていた。

 

不思議なことに1週間ほどでスマホのない生活に慣れてしまった、むしろない方が精神は安定してた。スマホを持つことで「承認欲求」「自己顕示欲」「SNSという毒に侵されていく。だけど慣れたと思うのも閉鎖病棟の中にいる時だけ、入院して三日目で友達が2人も出来た、その子達と大声で歌って怒られたり、一緒にゲームして笑いあったり、今年の夏で1番充実した生活が送れた。ただしかし母が面会に来て外に出る時自然と涙が溢れてきた「家に帰りたい」誰でもそう嘆きたくなるだろう、5ヶ月も入院してまともに家にも帰宅してないんだから。そして入院してから4週間目 ついにナースステーションの前で泣き崩れて帰宅を強請るようになった、緊急で母が面会に来て 無事一時帰宅。そして家に帰って思ったのは「やっぱり家に帰りたい」ということで金曜日に退院させて貰えました、なので入院中何があったのか詳しくお話は出来ませんというか全て忘却の彼方なので話すことがない。ダメですね、記憶力が本当に低下してる。最近は失礼だが友達の名前すらも間違えてしまうようになってしまった。

 

そして入院中にIQ検査 画面に丸が出たらボタンを押す検査 心理検査 ADHDチェック検査 全ての検査で4時間ほどかかりました、その結果「ADHDです」と言われました。こんなもんです、私の人生なんてどうせ語呂合わせだもん。

ADHDも躁鬱も境界性パーソナリティ障害PTSDも治らない、救われない、嗚呼。なぜ苦しめた奴らではなく苦しめられた私がこんな目に合わなきゃいけないんだろう、人生をかけて償ってほしい。生きにくい

 

もう死んじゃおうかな。きっとその方が楽だよ。って言うだけできっと死なないのでほったらかしてください。

 

 

何時もの診察の様子

「やっぱり精神科って入り口が頑丈だったりするの?」とよく聞かれます

 

そうでもねえ!!!!!!私は天下の大学病院様様の精神科にかかっているのですが、待合室が中にありそこが他の科と違うところかなと思います。精神科だからって精神を病んでる人だけが来るわけではありません、更年期、ADHD、アル中、さまざまな人がいます。その中でも圧倒的に多いのは気分障害の方だと思われます(もしかしたら統合失調症といい勝負かも)知名度と発症率は比例するように思います。精神科だから「興奮してる人」「泣いてる人」がそこらじゅうにいるわけではありません。私も驚いたのは一見普通の人が多いことに私も驚きました、ですがはたから見れば私もその1人なのです。

 

そして私が受けている治療は薬物療法です、週に2回の受診 診察室に入ってすぐの先生の言葉は「この○日間どうでしたか?」抑鬱で受診することが多いのですが自分にも他人にも興味や関心がなくなっている時期なので「いや別にどうもしてません、、」と思いますがなんとか診察時までにあったこと、どんな細かいことでも報告して そのことに対してどう思ったのかどう感じたのかについて答えます「分析が得意で言葉でまとめるのが得意なだけ沢山の言葉が出てきますね、でもそこにあなたの感情が入ってるとは思えない のでそこが問題ですね」と言われます。その通りです、私は言葉にまとめ相手が理解できるように伝えるのは得意なのに何故かそこに感情を入れることが苦手です、その裏には「感情を持ち込んだらいけない」「人前で泣くことは悪いことだ」と思い込んでいるからです。そう思い込むしかなかった養育環境にありました。でも、それでもたまに張り詰めた糸が切れるように泣き散らかすこともあります、感情は言葉にして吐き出さないと勝手に出口を見つけて出てきてしまう。そして薬について、これから先の治療ではどういうところを踏まえて気をつけてしていくかについて話し合って 薬を出されて終わりです。

 

 

そして先日の診察で新しいことがありました、ADHDの可能性がある」です。ふざけんじゃねえよ!!と思わず言いかけてしまいました。そう言われた理由ですが、私には昔から衝動性がありそれに加えて注意力の散漫、集中力の持続が極端に短い、小さいミスの連続などがありました。それで小学生の頃同じ大学病院の思春期科にかかっていたこと、個人病院でIQの検査をしたこと、全て洗いざらい伝えました。それらの症状がADHDなのか、それとも躁鬱の症状なのかを検査するとおっしゃられてました。ADHDなら薬を使って抑えなきゃいけないし 症状なら心理療法も交えて診ていかなくてはならないのです。ADHDとは思いたくないし、症状だとも思いたくないけれど「そういう作り」というのはもっと嫌だ。でも私は思うんです、先生には「自分の感情を受け入れてもらった、自分を受け入れてもらったという体験を重ねて治していきましょう」と言われるけど、17年間感じ続けてきた「自分は生まれるべき人間ではなかった」「自分は生きてちゃいけない」という気持ちと孤独を覆すことは難しすぎる。たかだか2.3回の体験でどうにかなるものでもない。と思うんです。

 

またこんな支離滅裂でぐちゃぐちゃな文章を綴ってしまった。「死んだ方がいいのかな」と17年間思い続けてきて 今も思ってる、きっともう治らない。だって中学の時はいつか治ると思ったし 高校に入ったときも環境が変われば救われるかもしれないって思ってた、それなのに救われなかった、嗚呼。

 

 

次のブログの更新はいつになるか分からないけど閉鎖病棟に入院したら閉鎖病棟についても書いてみようかなと思います。

 

 

許されない。

許されるんですか、私を痛めつけ不安定にさせ苦しめ罵り裏切った元彼や親戚や両親は。許されてはいけないはずではないのだろうか。貴方達に付けられた傷は刻印となり二度と消えることのない、足首に入れられた固いプレートにボルト、背骨に入れられた人工骨にボルト 創外固定。7万円したコルセット、3万円のアンクルファイター、全て実費だ。背中に出来た縦30cmの手術跡、プレートが入ってるところを指で叩けば痛みもない 衝撃が来るだけで痛くもなんともない。後遺症として関節痛、足首の動きが弱くなる ものがあげられる、足首の左右の動きは勿論前後の動きも悪くなるというかほぼほぼ出来ない、だから歩き方かは少し可笑しくなるし 走ることは不可能 体育なんて無論参加できるわけがない。コルセットは3ヶ月は取れないし、アンクルファイターは付けてから半年は取れない。帰宅する時私は松葉杖を2本脇に挟み使っているであろう。私を追い詰めた奴らは許されるんですか?ううん、許されないんじゃなく私が許せないだけだ。

プラネタリウム

何年ぶりかにみたプラネタリウムは面白くなかったし、私の空しさを余計に酷くさせた。プラネタリウムが真っ暗な中不安と虚無感が襲い 

 

 

 

 

 

「やばい!空しい!苦しい!不安だ!」

 

 

 

 

 

 

となり起きかけている発作をなんとか防ごうと頭の中を他のことでいっぱいにしようとします、余計思考回路がグチャグチャになり最終的には結局吐き気を抑えながら我慢していました。それでも序盤はすごく綺麗で涙がこぼれそうになったんだけどね。途中で抜けて落ち着いたら戻るという手段もあったが、母にわざわざ連れてきてもらったのに「そんなこと、、」と思ったら抜けるなんてことが出来ずに苦しみました。ダメですね。

 

私はいつも人の理想であろうとするのです、だから自分がいないし 自分という人間を確立出来ていない。瞬時に相手の理想像をじっと捉え・大人しい ・女らしい ・おどける ・頼りがいのあるお姉さんらしい人により使い分け相手にとって「素敵な人」であろうとするのです。実際相手にとって私はそうなれているか分からないけど。笑ってくれた これでよかったんだ。笑顔がなくなった何がいけなかった?不満そうだ まだまだ頑張らなきゃ。

 

 

「頑張るところちげえから!!」

 

 

とよく言われます。

誰かの理想になるために必死こいて努力をするし、それを厭わない。誰かの理想でありたいという願望が私を突き動かすのだ、だから病院では「おとなしいけど話しかけると元気な女の子」として生活をしているし、もっといえば看護師や医者に対しても態度や接し方を変える。これはもう治らないのだと思う。人間は完璧ではないということが頭でだけではなく、心でもちゃんと理解が出来るようになるまではきっと治らない。それでも私は人間に完璧を求めてしまうし、完璧を求められてる気がするし、完璧でいたいと思ってしまう。私はとことこん融通が効かないアホだ。

 

相手にとって理想的な存在でありたいと思う気持ちもありますが、私の理想でいて欲しいという願望もあります。大半の人間は初対面では良いところだけを見せてくる、だからその人のことを完璧だと思ってしまうし、悪い部分を見た瞬間に「裏切られた」と思い不信感に駆られます。健常者は人間には色々な一面があると思っているが ボダである私は人間は一面しかないと思っています、だから悪いところを見たら悪い人になってしまうし 良いところをみたら良い人になる。頭の中が真っ二つだ。

 

 

そしてまたこんなアホみたいな支離滅裂でどうしようもないブログを書いてしまった。私って誰なんだろう。

 

未練じゃないよ。

未練ではないけど、彼と付き合っていた頃が私の人生で1番楽しかったし きっとこれからも彼を超える人は現れても彼を忘れることはできないだろう。私の人生において避けては通れない人なのである。

 

そんな彼は家庭環境は複雑で、私の3つ年上だった。きっと彼は21歳になったであろう。そして恐ろしく嫉妬魔でした。

 

そんな彼の嫉妬から私は何人かとの関係を断ち切ってしまった、別れて3年経った今ではその人間関係も元には戻ったが 正直あの頃の私は盲目にもほどがあるほどだった。

彼のいない人生なんて想像できなかったし、これから先もずっと一緒にいるなんてアホみたいなことを思っていた。

 

でも今はどうだ、彼のいない人生を生きている 毎日しんどくて屍のようになっているがなんとかそれなりに生きている。つまりは恋愛なんてそんなものだ。だけども、彼と別れてから私が長い長い退屈に苛まれているのも事実だ。

彼には才能があった、人に好かれる才能だ。親しみやすい明るいフレンドリーな性格、私はそんな彼の才能と性格が怖かったことも事実だ。「いつ私から離れてしまうのだろう」何度この言葉が頭をよぎっていたことか。私とは違いフットワークの軽い彼が羨ましくもあり 怖くもあった。それでも嫉妬深く独占欲の塊の彼は私のことをツイートするたび「俺の」と言っていた、たかが2文字のその言葉が私を一気に幸せに持ちに上げていた。

 

そしてフレンドリーな性格故に彼は優しすぎた。困ってる人がいたらすぐ手を差し伸べるし、苦しんでいる人がいたら親身になって話を聞いてあげる、そして勘違いをしてしまう子も多数いた。きっとその中には私なんかよりも素直で真っ直ぐでちゃんと愛されるべき人もいたであろう、それなのに彼は私を選び続けた。そんな彼の純粋な愛情が私の首を絞めつつあった。彼に愛される度に、彼が他人に優しくする度に、彼が弱っているところを見る度に「同じような環境で育ったのに何故私はこんなにひねくれてしまったのだろう」という劣等感が私を覆い尽くしてしまう。

その度に私の光だった彼に救われていた、でも、それでも根本的に救われることはなかった。

 

こんな私なんかの彼はどこが良かったのか、私の何がそこまで好きだったのか。今となっては私にも分からないし もう彼に聞く術もなければ彼もきっと覚えていないだろう。私はこの3年間であまりにも変わりすぎた。

 

そして付き合ってから1年経った四日後、彼の誕生日から五日後、彼の幼馴染から彼が2週間前から浮気をしていたことを聞いた。私は男を愛すには男に騙されすぎた。

傷付いたし 五分ほど泣いた、私はそれだけで吹っ切れてしまった。

「やっと楽になれた」「やっと解放された」

彼を好きだった気持ちよりも己の気持ちが勝ってしまった。

 

結局私は彼より自分が大事だったし、愛されていた自分を愛していただけで、盲目になっていたのは彼に対してではなく自分に対してだった。

 

浮気相手の女の子は耳が聞こえない同じ学校の女の子でした。彼女は「彼といると耳が聞こえないことなんてどうでも良くなる」と彼に漏らしていたらしい。そんなことを言われた彼は余計に彼女から離れられなくなってしまったらしい、最後の最後まで偽善者な彼氏だった。

 

メンヘラはなぜクズを好きになるのか、それはきっと「承認欲求」が関係しているのではないのだろうか。

 

それでも、彼ほど私をびっくりさせ 楽しませ 悲しませることが出来る人はいないだろう。彼のことを書いていたら時間があっという間に感じる、私は未だに呪縛から抜け出せていないのかもしれない。

脂肪って黄色いんだなあ

足と手を離して飛ぶ、あれやこれや考える時間もなく落下。あまりの痛みに呻き声が自然と出てしまう、意識も朦朧とする 近くで女性の悲鳴が聞こえる、足音が近づく。しばらくしてサイレンが聞こえてくる

 

 

「大丈夫ですか?声聞こえますか?どこ打ちました?」

 

 

いやそんなに質問攻めされても!!!!なんて思うのは今だからでしょうね。

頭に頭部固定具を付けられ、123という掛け声と共に体が浮き担架に寝かせられる。私はひたすら痛みに耐えながらなんとか意識を保とうとした。

 

「私の声が聞こえてたら手を握ってください」「名前と生年月日言えますか?」「指に酸素測るやつを付けさせてもらいますね?」「かかりつけの病院とかありましたら教えてください」

 

どこかぼんやり「ドラマだ!!」と思っていたことを覚えている。

 

着いてからのことは今もよく覚えていません、うっすらうっすらな意識で覚えていることはCTやレントゲン色々な検査を受けたことくらい。CTは未だに慣れません、吸い込まれてしまいそうで怖いなって思いながら受ける。

 

全ての検査が終わったらベッドに移り救命救急病棟の個室Cにぶち込まれる。お母さんが椅子に座って私の手を撫でてた。

 

足首の軟骨が潰れ、関節が外れ、複雑に出来ている骨が粉砕骨折

腰は第二腰椎破裂骨折、簡単に説明をすると 背中を支える背骨の骨が1個潰れ他の背骨にヒビが入った。

 

足は酷いもんだった、変な方向を向いて紫色になり腫れ上がってた。

 

「今すぐ手術しないと脊髄にも怪我の影響が行き 脊髄損傷を起こし二度と歩けなくなる可能性があります」と腰の先生が説明をしていて、私は他人事のように聞いていた。(痛すぎて集中して聞けれなかった)

 

その日の夜中に手術室が空き 急遽足と腰の手術を受けた。背骨に5つのボルト、足首には骨から直接固定する青とシルバーの固定具を付けられ 無事手術は終わりました。4.2

 

 

そして4.12 2回目の足の手術を受けました。今回の手術は直接入れられている固定具を抜き、足りない部分の骨を人工骨で補い 踵にプレート、左右にボルト、無事終わりました。

 

やけに綺麗な手術室は怖かった。

 

「髪が長いから結んでから帽子被りましょうか」

結ぶゴムの色は選ばせてくれた、緑とピンクを選んだ。

 

麻酔って眠りにつくまでピリピリするんですよ。針を刺され 点滴で麻酔をかけるんですけど 針を入れられてるところ 針を入れられてる腕がピリピリしてきて、目線を上に戻すと立ちくらみの様に視界が歪んで眠りにつきます。

 

「手術終わりましたよ!」

声をかけられ目を開けると私の周りを何人もの医師や看護師が囲っていました。

 

 

そんなことで私の体には今、背中にボルトが5つ、足首に鉄のプレートとボルトが入っています。

 

人造人間万歳