海で溺れたよ

この海!深い!溺れる!ボボボーボ・ボーボボ

今と過去とこれからのこと

私は愛されなかった、愛ある行為で身ごもって愛ある行為で産んだはずなのに愛されなかった。私は幼少期の記憶があまりありません まるで消しゴムで消されたかのように ブラックアウトしたかのように飛び飛びでしかないそれ以外はもう分からない。そんな中で思い浮かぶのはいつも家の空気も親戚との集まりも凍っていたこと。我が家は普通の家庭でした、父は社長母は専業主婦 外から見たら普通よりも恵まれてるかもしれません。ですが、その内側はいつ天災が起こるか分からない場所でした。父はイライラすると母につらく当たりました母には「お前が勝手に産んだんだろ」 私には「できそこない」と 普段は普通の母もそうなると守ってはくれません だから私は今も昔も「できそこない」「失敗作」だと思っています。叔母はお酒を飲むと私に「死にたいと思うお前は間違えてる」「お前は人間じゃない」と当たります。4歳の時に弟が生まれました 弟はお父さんからも愛されてて羨ましかった だけど当然だったのです何故なら私は出来損ないの失敗作だから 母と父が夜中に喧嘩をして弟が怯えて泣きながら私に抱きついてきたことを今も忘れません「こんな私を頼ってくれてる」と胸が熱くなったのを覚えています。弟が悪いことをしようとして私が止めに入ったことがあります、ですが私が父に怒鳴られました 人のせいにするな お前がやったんだろ 頭ごなしという言い方は好きじゃないけどまるでその通りのように説教をします。私のことをあまり好きではなかったんだろう。自分のことをはっきりと「要らない人間なんだ」と自覚したのはこの頃からでした。

保育園で怒られた時も異常な程に落ち込んでいたし 人格まで否定された気持ちでした、それは今も変わりません。そこに離婚、母の男関係、ネグレクトなどが加わり私の心は益々荒んでいきました。

中学生になり学校や家にも自分の居場所がなく私が見つけた方法は援助交際でした、もちろんお金欲しさもありましたが本来の意味は私の居場所探しでした。見知らぬ人に抱かれた時その人は私にこう言いました「かわいいね」胸が高鳴りました、そして初めて思いました「私は愛されてる」「私は必要とされている」どんどん「性の対象である自分」にしか自信を持てなくなっていきました。目の前にいる人が男性であれば、性的アピールをしてしまい関係を持ってしまう。その何人かと同時進行でつきあいました。

ですが根本的な部分には「自己否定」があるため相手の愛情を信じられないのです、だから試すような行動を何度も繰り返し相手が疲れ果てて離れていく その度に「私はやっぱり捨てられるんだ」と思っていきます。

気がつくと私はパートナーに暴力的行為をするようになりました、たった一人と付き合うことになり多数と付き合うことで満たしてきた孤独感が押し寄せてきたのでしょう。相手の帰りが少し遅いだけで「私といるより楽しいんだね」と思いこみ 「私は捨てれる」と怯えています。相手に尽くすことより2人の写真をビリビリにしたり目の前で自傷行為をする それで傷ついた様な顔をする相手を見て安心するのです 「ああ、愛されている」と。

5秒前まで機嫌よく笑っていたかと思ったら、5秒後には怒り出し暴れてしまう。そんなことがよくあります 些細なことでパートナーから捨てられると感じて怯えて不安が攻撃になります。

そういった症状は普段の人間関係では早々出てくることはありません。仕事や上辺だけの友達など 向こうから見たらむしろ私はいい人で関係が深くなれば深くなるほど症状は出てきます。厄介です そして私は今も居場所を探し続けています 見知らぬ男性と避妊もせず性行為に至り それを何度も繰り返し自らを救おうとしています。「今生きてる自分を愛してあげて」と言ってきたカウンセラーは私を救おうだなんて思ってなかった自分に酔いたいだけだったと思う。だから真に受けてもないし 愛してあげられるものなら私はとっくの昔に精神科も卒業してるであろう。今も私は真っ暗闇の中ひとりきりで歩いてるような感覚です 孤独感が消えてくれないのではなく私は間違いなく孤独なのだと思う。

遺書

私が死んでから「あーすればよかった」「もっとこうしてあげればよかった」と誰かが自責の念に駆られるのが嫌なのでこのブログを残します。私が死ぬのは誰も悪くない 強いといえば身内くらいです。毎日毎日生きることや自分のことで精一杯でこれから先を生き抜く自信も気力ももうぶっちゃけ残っておりません。感情のコントロール不能で特に気分が落ち込んでいる時無気力な時何も手につかない状態になります、私は今週の土曜日に引越しをするのですが片付けもなかなか進んでおらず、薬の効き目も悪く悪化傾向にあります。死にたいという気持ちと死ぬことだけが頭を埋めつくします。アイラインは何cm引いて、カラコンは14.2mmにして髪はどれくらい巻いてどの服を着て飛び降りるか葬式の遺影は何にするか会場に流れる曲はどんなプレイリストにするか何色の花で埋めつくしてもらうか、そんなことばかり考えています。それはどう頑張っても変わらないし治らないと思う 何故かと聞かれるとそれしか私にはないからだ、趣味も特技もない何も無い、そういうことを毎日毎日毎日考えて過ごすのが私にとっての普通だ。それを悲しいと表現する人もいるし、止めて欲しいと懇願してくる人もいるけど、まあ正直わたしだってそんなことを考えずに生きていけるならその方がいいと思う。スタバの新作フラペチーノとクリスマスの予定と片想いのイケメン草食男子のことで頭がいっぱいの女の子になりたかったとも思う。

何も怖くないという顔をして辛くないふりをしてなんともなさそうに見えてたかな、悲しむことも傷つくこともたくさんあった 私はいつもヘラヘラして流していた でも確かに私の心に突き刺さっていた。今も抜けずに困っている。「痛みって美しいんだ」という歌詞があるが死ぬほど嫌いだ、痛みを感じる度に私は私ではなくなる気がしてしまう。強がって痛くないふりをして私が私なのかも分からず混沌の中を生きている。涙を流すことは恥だ、弱みを見せるのは汚いことだ。見えないところの傷でさえ気持ち悪がられるのに見えるところの傷なんてもっとひどい。

「語彙力がある」「文才がある」そう褒めて貰えても私自身は空っぽで何も無いのだ。人間は自分で自分を評価し芯を作りその周りに他者からの評価が周りにペタペタと張り付く、でも私にはそもそもの芯がなかった。高校の受験の時面接があった、如何に自分をアピールするか そこで私は何回目かの挫折を味わいました。自分が分からないのです、自分の特技も趣味も分からずただただ練習しながら必死に書いたメモをぐしゃぐしゃにしては捨てぐしゃぐしゃにしては捨ての繰り返し、私にはもう本当に何も無いんだ。芯がないから他者からの褒め言葉でさえ空の中にどんどん落ちていく そう、褒めるだけ無駄なのだ。そして芯がないということは自分をしっかり持っていないとも言う、人の機嫌を伺いじっと相手の行動を観察し相手が求めている理想像になろうとする、カメレオンのようだ。どれだけ疲れていても厭わない。そうでもしないと人から好かれないという強迫概念があるからだろう。

自己肯定力が皆無だから少しでも否定されたら人格まで否定された気分になり相手の機嫌が悪いと自分のせいだと思ってしまうし そのループに疲れた結果「縁を切る」という手段しか思い浮かばず断ち切り私はどんどん1人になっていく。静かに死んでいくんだと思う。友達がアカウントをフォローしてくれなかった 友達が返信2日間もしてくれない みんなが気にしないようなことを逐一気にして気分が左右されそんな自分に疲れ私はぐったりする。

先日スーパーでお父さんと会った、新しい奥さんといたから話しかけられなかったし 私は見て見ぬふりをしてしまった、向こうも私のことは見かけてないと言っていたらしく勝手に私がいないような扱いをされた気分になった 悲しかった。私の周りにも母子家庭の子達は多いが大半が父親とも仲良くはやっていたりする、TwitterInstagramで「お父さんとデートしてきた」などという投稿を見ると携帯を投げて泣き出してしまう、私は特別なことなんて何もいらないただただ私もみんなみたいに健全に過ごしてお父さんや家族と遠出やデートをしてみたかった。もう叶わないから私がなんと言おうと何も変わらないのが現実だが その現実を受け入れる度胸も覚悟も根性もない。怖いんだ、私にはお父さんがいないという事実を受け入れることが。何故こんなにも私がお父さんを求めているのかと言うと私はお父さんとの思い出でいい思い出が全くと言っていいほどない。だから上書きしたいのだ、10年のブランクはあるけど今ならちゃんとお父さんの目を見て私の10年間を話せるような気がする、そして私はお父さんの10年間も知りたい、私にはちゃんとお父さんがいたんだという気持ちを抱きたい。お父さんが望んでいた娘に育たなかったことはわかってる、それも謝りたい、ただ私は普通にご飯を一緒に食べたり買い物をしたり普通でよかった。

平凡でいい普通でいい スタバの新作をツイートして友達とカラオケ行ってドライブして誕生日にはサプライズなんてされて それだけでいい、毎晩毎晩流す涙を拾ってくれる人もいない、私は孤独だ。私がこんなに自殺を願うには母より先に死にたいという気持ちがある、自分本位だが母がいなくなったら私には家族と呼べる人はいなくなってしまう。そんなの嫌だ、わたしをこれ以上孤独にして欲しくない。公認臨床心理士を目指してる友人に「小さい頃からたくさん傷ついてきたんだね」と言われた、私は泣き散らかした。もうこれ以上傷つきたくない、だから死を選ぶ。それしかもう私にはない。こんな支離滅裂な文章を最後まで呼んでくれてありがとうございます。ごめんね、20歳まで耐えられないよ。かと言って今すぐ死ぬわけでもありませんので警察さんは来なくてよいです

昔から容姿のせいでゴミのように扱われた話

容姿について悩み夜中に泣き散らかして手首を切ることが多々ある。希死念慮や不安だけじゃなく容姿についての悩みもリストカットの原因だ。容姿に悩み逃げるためにリストカットでもその醜なった手首に更に嫌悪感そしてまた手首や容姿について悩んで泣く負のループ

最近はどこに出るのにもバッチリ化粧じゃないと怖い 奇形な自分が不意に映る窓ガラスなんて最悪

私は太っているし目もパッチリ二重じゃない、だから化粧もたくさん研究した その結果まだマシ見える化粧も覚えた、でも可愛くなるための化粧じゃない 私の顔を見て他者が不快にならないようにする隠す化粧だ。

先生に「身体醜形障害には特徴がある」と言われた、身体醜形障害を患ってる人の8割は自分のことをブスだと思うのではなく異物や奇形その様に思うらしい。その通り私は自分はブスと言うより醜い奇形にしか見えない。

泣きながら鏡を割ったり、バッチリ化粧もしくはサングラスにマスクじゃないと外に出れなくなったり、容姿への悩みや精神的な問題から他者と円滑なコミュニケーションを取ることが出来なくなった。これも性格なのか。

醜い自分を他人に見せるのが申し訳なく屈辱的で家にこもりがちになる。一日の大半は容姿について悩んで過ごしている。

「そんなに鏡みてナルシストなの?」と友達に冗談言われたがそんなに見てるかな? 鏡を何度も確認してしまう 鏡だけじゃない ガラス 鍋の蓋 スプーン そこに映る気になるところ(ほぼ全身顔も含む)を何度も確認する ひどい時は確認してるだけで1時間半経っていたこともある。

反射物だけじゃない、写真や映像に映るのも怖い なので履歴書には証明写真貼らないし手帳に貼られた証明写真も破り捨てたい

両親や友達に「私って臭くない?」「私のここ変じゃない?」と異常に確認してしまう「そんなことないよ」って言われても私の気持ちを想ってお世辞を言ってくれてるって思うだけ。聞くだけ無駄だ。

これが身体醜形障害です。

確認しては変だと感じ終いには殴ってしまうこともある、殴れば元に戻るというバカな発想故だ。

自分が他人に本当はどんな風に思われ見られているのか、そんなことは全人類分からないであろう。その答えのないことについて悩まされて手首切って薬飲んで馬鹿みたい みんなみんな馬鹿みたい

不安になりたくないから私の事嫌いな人はどうぞ私と関わらないでいてくれていいし あたかも私を好きだという態度も取らないでほしい。裏でボソボソ言われるくらいならその方が楽だ。これも逃げになるのだろうか。私にはもう分からない。

幸せと優しさの隙間にある日常

私のブログを読んでくれてる友人からのリクエストで今回は「何があって幸せだと思うのか」「何をされて優しさを感じるのか」「どんなことがあって辛くて悲したかったのか」について書いて見ようと思います。

私は感情という感性がぶち壊れてるらしいのですが人並以上に敏感な心の持ち主です。人から貰う感情や価値をどんなものなのか何が理由で私に与えてくれたのか私は深読みをします。

 

 

幸せだと感じる時 誰かが私を必要とし「ありがとう」「あなたのおかげ」と言われた瞬間です、母に「生きててくれるだけでいい」と言われた瞬間、私の中では2つの感情が入り交じります。それは「うれしい」と「申し訳ない」優しさもまた然り 他人に自ら何かをしてあげその対価を貰うことで私は嬉しながら幸せを感じながら申し訳ないという要らない感情を抱いてしまいます。自己肯定力の低さ故 避けては通れないものなのかもしれません。17年間「自分は生まれてくるべき人間ではなかった」と思い続け生きてればそうもなります。優しさを与えられた時私は何故か涙が溢れて止まらなくなります、そして私の心に芽生えるのは「こんな人間に優しくしてくれてありがたい」という気持ちです。些細なことなのです、私が欲しがり皆が与えてくれることは 少しずつ少しずつ私の生きる種になっていくのです。

 

そして反対の悲しいや辛いなどのネガティブな気持ちを抱く時は決まって「誰かに突き放された」と感じた時です。私は関わる人間にどうでもいい人なんの感情も抱かない人もいません、所謂「執着心」からくる突き放された不安や悲しみ 1.2日返信が来ない いつもより冷たい いつもより笑顔が少ない何がダメだったんだろう 常日頃人に対しそう考えています。元々の性格もあるのだろうか。裏切られたり少し物事を否定されたりしたら人格まで否定され罵られた気分になり2週間ほどずるずると引きずります。そして悲しいや希死念慮を抑え自分はこんな人間なんだと自分に分からせるためにリストカットやOD飛び降りを繰り返すのだと思います。なので取っかえ引っ変えがキリがありません、誰かが1人でも離れたら私は次を見つけ その悪循環。でもハッキリと○○されたら辛いとはいえません、私にも分からないのです スっと不安になりフッと落ち着きます その繰り返しに他人からの優しさや愛情が入り込み複雑に絡み合い自己収集がつかなくなります。

 

 

でも声を大にして言いたいことは私はみんなのおかげで生きられています。私が死にたくて誰かに縋りたい時 誰かしらは電話に出てくれるし 大好きな彼女はたまに電話をすると面白い話をしてくれて元気が出るし 私が困ってたら手を差し伸べてくれる友人も こんな私を面倒見てくれる母もいます。それだけで充分なのかもしれません、対等なのが当たり前なのです、してもらったらしてもらった分だけの対価を支払わなくてはならない、過不足なく平等にそれで世界も人間関係も上手くいくのだと思います。

自殺しようとした話

昨晩から突如訪れた希死念慮とパニックに襲われ泣きながら遺書を綴っていました。写真にある薬を全部飲み飛び降りる予定でした。結論これを書いてる時点で私は生きています、死ぬ気も死ぬ勇気もそもそもなかったのです。

 

 

薬に頼らなきゃ死ねないなら生きてればいい

 

と友人に言われ不意に我に返りました。

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でも薬を飲んでも死にたいのがメンタルヘルスの闇。これから先も私は何度も死のうとするだろう、する度に私には我に返らせてくれる友人がいる。

 

優しさを受け取るのが苦手だし愛されることも苦手だが、私が死ぬことを引き止めそれでも尚私の面倒を見てくれる母や友人は私が気付かないところで優しさを与えられているのかもしれない。そしてそれを私は無意識に受け取って生きている「優しさ」と名付けられると受け入れるのが怖いのはみんな同じ。突然「あなたに100万円をあげます可哀想なので」と言われたら大多数は受け取ることに抵抗があるだろうと思ったら死にたい気持ちもみんなが敵に見えて仕方ないのも少しは落ち着いた。信頼なんてそんなもんだ、よく行くお店だって誰が作ってるか分からない食べ物をなんの抵抗もなく食べられることが出来る。私にはまだ死ぬことは出来ないのかもしれない。

僕と愉快な閉鎖病棟の仲間たち

小藤さん(39)うつ病で自ら入院してきたとのこと。この方は東京の方でIT会社に勤めていたらしいがうつ病を発症し仕事を辞め地元に帰ってきたらしい、前回のブログで書いた「いつもニヤニヤしてる人」です。この方とは心理療法士も混じえ他の方も混じえながらゲームを何度かしたことがある、そして、私に告白をしてきた人でもある。素直に告白された時は気持ち悪い(申し訳ないが)思ってしまった、そりゃそうだ、39歳、私の母よりも年上。でもこの人は頑固なのか気が強いのか諦めなかった「歳とか関係無しにどうですか」無理つってんだろ!!!!と怒鳴った相手でもある。男なら誰でもいいがちょっと待ってくれとなった。そして私と同じ日に退院されたらしい。

 

そしてここからはパンチの強いメンツになってくる、よっ!さすが大学病院さまさま!

 

 

えりか(13)なんとこの閉鎖病棟にはこんなにも若い子がいるとは!というのが最初の衝撃だった、この子は母親に刃物を向けたら警察を呼ばれそのままここに連れてこられたとのこと、この子は自分で自分の髪の毛を毟り抜く癖があり後頭部が少し禿げていた、でも普通だった。話せば楽しいし流行りのTikTokの曲などを歌って騒いで怒られたりした、禁止されてる物々交換(お菓子や本)などもして2人でひっそりアイスを食べたりもした、いい暇つぶし相手でもありいい友人だった。2人でホールでご飯を食べるのも当たり前だったし 後記に載せる女の子1人と私とえりかとの3人が何時ものメンバーだった。

 

なつき(20)最初の会った時は中学生かと思った(申し訳ない)トイレ待ちで初めましてだったのだが彼女は強迫性障害という所謂行き過ぎた潔癖みたいな感じで日常生活もままならず任意入院だった。お風呂も2時間かかり手を洗ってるだけで気付いたら3時間経っていたというのもざらにあったらしい、そして手を常に胸元に置きそこから下には下げられなかったし 落としたものも自分で拾えず、ご飯も部屋じゃなきゃ食べられず ジャンプや走ることもできなかった(汚いという思い込みゆえ)「トイレ行ってくる~」と言えば30分戻ってこないこともざらにあった。この子ともアニメやボカロや恋愛ソングで意気投合し ずっと歌ったり散歩がてらカラオケを外でしていたりした、歌声がとても綺麗で透き通っていて歌のお姉さんみたいな歌声をしていた。

 

まゆちゃん(24)彼女の病名や症状は詳しくは知らないが拒食症と気分障害人格障害を患ってると風の噂で聞いたことがある、ただでさえ華奢な体はもっと細く手首なんて折れてしまうのでは?というほどだった。そして可憐だった。声も落ち着いた綺麗な声をしていて顔も普通に可愛かった。だけど記憶がない所で冷蔵庫を倒していたり 椅子で窓ガラスを割ろうとしていたり 歯ぎしりをしながら「死にたい」と泣いていたり、何故かそんな光景にも慣れてしまい彼女が「死にたい」ということも慣れてしまったし、私も常に死にたいと思い死ぬことを考えてるからそれがデフォルト故に慣れてしまったのだと思う。手首に無数の痛々しい引っかき傷があった「差し支えなかったらでいいんだけどその傷は自分で?」と聞いたらふにゃあと笑い「多分ね、記憶が無いの」と返事をしてくれた、その初めての会話が何故か悲しかった。

親にも見放されてるらしくまゆちゃんは私が退院する少し前に施設に移動した。

 

 

 

そして上記のなつきとえりかとは未だに私が外来に行く時に会います。なつきとえりかとは病棟外で座りながらお話をしたり、昨日の診察後にもいつも通り話をしていた、私は汚れや傷などに無頓着で気にしない人なのだが それがなつきにも影響し「○○ちゃんのおかげで床に落ちたものも触れるようになったよ!外の椅子にも座れる!○○ちゃんは汚れや傷に無頓着だから見てて安心する、存在だけで私の病気を治してくれるみたい」と言ってくれた、嬉しかった。私の存在を初めて他人に認められたような、私は鬼じゃないんだと思えた。えりかは会った瞬間に泣いて抱きついて「会いたかった」と言ってくれた、彼女達と会うと何故だろう普通の友達といるより安心感があるし なにかに包まれてる気分になれる。私のなくなった生きる力と肯定力をゆっくりゆっくり彼女達は繋げてくれる。似たもの同士だからなのかもしれない。

 

 

この子達と関わり私はもっと深く心の問題について考えてみたがやっぱり答えなんて見つからなかった、精神障害者だからってちょっと怒っただけで「衝動性だ」って言われるし、ちょっと泣いただけで「不安定だ」って言われる「何でもかんでも病気扱いするな!」とは思うがそれほど心に敏感なんだと思った。心の病は悪いことじゃない ただちょっとした変化の心の反応なんだと思う。私の見解ではそうなる。

 

そんな愉快な仲間たちと過した閉鎖病棟、確かに外で友達とenjoy!もいいが閉鎖病棟での夏もなんだかんだ楽しかった、暑いね~って拒食症の女性と話しながら「お姉さん細いから暑くないでしょ~」そんな会話さえ懐かしいと思える。悪くなかった、だけど良かったとも思えない複雑な気持ちがある。精神科の閉鎖病棟は地獄ではないが天国でもない、病状が落ち着くわけでもなければ救われる場所ではない、だけど気付けることが沢山ある、得るものも沢山ある。私はそれをひとつひとつ壊さず大事にしたいこれからも。

 

閉鎖病棟とADHDと

窓からはセミの鳴き声が聞こえる、スマホはない、社会と繋がるようなツールは全て置かれてない。不安だらけだった、私にとってスマホとは他者との繋がりを表すものだった そんなものがない中でまともでいられるのかと不安だったが実際「スマホがある方が異常になってしまう」という現実を突きつけられた。

 

出入口、洗面所、大浴場、ナースステーションには全て鍵がかけられ ナースステーションには強化ガラスが張り巡らされてる、困った時はナースコール(看護師が来るのに30分くらいかかる)またはナースステーションの小窓を叩き直接お願いをしにいく、1人でニヤニヤしながら歩く人 ナースステーションの窓を叩きながら「ここから出せ!」と怒鳴り保護室に連れていかれる人 ドアの隙間からガン見してくる拒食症の女性、1人で爆笑しながら歩く人、みんな様々に過ごしていた。

 

不思議なことに1週間ほどでスマホのない生活に慣れてしまった、むしろない方が精神は安定してた。スマホを持つことで「承認欲求」「自己顕示欲」「SNSという毒に侵されていく。だけど慣れたと思うのも閉鎖病棟の中にいる時だけ、入院して三日目で友達が2人も出来た、その子達と大声で歌って怒られたり、一緒にゲームして笑いあったり、今年の夏で1番充実した生活が送れた。ただしかし母が面会に来て外に出る時自然と涙が溢れてきた「家に帰りたい」誰でもそう嘆きたくなるだろう、5ヶ月も入院してまともに家にも帰宅してないんだから。そして入院してから4週間目 ついにナースステーションの前で泣き崩れて帰宅を強請るようになった、緊急で母が面会に来て 無事一時帰宅。そして家に帰って思ったのは「やっぱり家に帰りたい」ということで金曜日に退院させて貰えました、なので入院中何があったのか詳しくお話は出来ませんというか全て忘却の彼方なので話すことがない。ダメですね、記憶力が本当に低下してる。最近は失礼だが友達の名前すらも間違えてしまうようになってしまった。

 

そして入院中にIQ検査 画面に丸が出たらボタンを押す検査 心理検査 ADHDチェック検査 全ての検査で4時間ほどかかりました、その結果「ADHDです」と言われました。こんなもんです、私の人生なんてどうせ語呂合わせだもん。

ADHDも躁鬱も境界性パーソナリティ障害PTSDも治らない、救われない、嗚呼。なぜ苦しめた奴らではなく苦しめられた私がこんな目に合わなきゃいけないんだろう、人生をかけて償ってほしい。生きにくい

 

もう死んじゃおうかな。きっとその方が楽だよ。って言うだけできっと死なないのでほったらかしてください。